「僭越」という言葉がある。
「自分の地位・立場などを越えて、出過ぎたことをすること」
(明鏡国語辞典)だ。産経新聞(3月24日付)に載った論説副委員長、
佐々木類氏の文章を読んで、この言葉を思い浮かべた。
その趣旨は、国内の新型肺炎の感染拡大に対して、
「天皇陛下のお言葉を聞きたい」ということ。
しかも、上皇陛下を引き合いに出して。何様かと思う。
天皇陛下が常に、私共国民に深くお心をお寄せ下さっていることは、
これまでのなさりようから明らかではないか。
新型肺炎についても、先頃のお誕生日に際しての記者会見で、
特に言及しておられた。
感染拡大への対策は、政府・国会・国民が一丸となって
取り組むべきことで、メディアも勿論、相応の責任を分担する
ことが求められる。それらが、果たして十全になされているか、どうか。
それこそが、問われなければならないはずだ。
にも拘らず、政府を含む国民自身の側の責任を銘記するよりも、
早く国民を励まして欲しい、と陛下にオネダリする姿勢は、
本末転倒ではないか。
そんな甘ったれた根性では、「国難に立ち向かう」(同記事)
もへったくれもあるまい。天皇・皇室への依存心を肥大化させて、憲法に主権者と
位置付けられた国民としての責任をなおざりにするようでは、
情けない。
天皇陛下の「おことば」は、それが象徴としての公的行為
である場合、陛下ご自身の主体性が最大限、尊重されねば
ならない。いつ、どのような“おことば”を下さるかは、
当然ながら全て天皇陛下にお決め戴くべきことだ。
新聞記者が僭越にもあれこれ指図(さしず)してよい領域ではない。【高森明勅公式サイト】
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